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いこのひびつれづれ。

好きなことを好きな時に書きたいだけ。

来岡志士

幕末 歴史 新選組
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只今、絶賛腹下し中ですが(相変わらずの虚弱っぷり)今日は、岡山県立博物館の特別陳列「岡山を訪れた勤王の志士〜久坂玄瑞桂小五郎坂本龍馬の足跡〜」を見に行ってきました。
あくまで特別「陳列」なので、常設展示の片隅に史料が8点ほど紹介されただけの(個人的には)小ぢんまりとしたものではありましたが、興味深かったです。
坂本龍馬に然程興味ないし、桂小五郎に至っては嫌いなんですが、まあそれはさておき。
久坂玄瑞は好き)

岡山は東西に山陽道が走っていて、長州から上洛する際の通り道でもありました。
また、備中松山藩からは筆頭老中の板倉勝静(と顧問の山田方谷)が出てますし、備前岡山藩の幕末当時の藩主は、15代将軍の徳川慶喜の弟、池田茂政ですし、彼らの力を頼って、久坂玄瑞桂小五郎が書状を出していたり、長州の周旋方が訪れていたようです。
こうしてみると、岡山も幕末時、結構重要な立ち位置にいたんですね。
と、自分は思っているのですが。

ただ、譜代大名備中松山藩外様大名(でも将軍の弟が藩主)の備前岡山藩では立場は異なったようですが。
特に岡山藩は複雑ですよね…藩論としては尊王攘夷派だけど、血筋的には佐幕派にならざるを得ないし。
父は徳川斉昭だから余計に。
結局、岡山藩は新政府軍の方につく訳ですが。

展示されていた史料は、山田方谷に宛てた久坂玄瑞桂小五郎の書状や、岡山藩の筆頭家老に仕えた 近藤定常の履歴書(死後に書かれたものなので、一級史料ではない)から見える桂小五郎坂本龍馬の当時の動きについてなど、8、9点。
中には、今回初めて出展されたという方谷直筆の「尊王佐幕の三説」という、方谷の尊王論、佐幕論に関する解説書という変わり種も。

今日は学芸員さんによる展示解説もある日だったので、そちらも拝聴してきましたが、色々知らない話が多くて勉強になりました。
特に今日聞いていて初耳だったり、興味深かったりしたのは、以下の点

  • 今回パネルながら展示されていた「石川清之助(中岡慎太郎の変名)日記」によると、慶応3年6月14日に西大寺に龍馬と一緒に宿泊したという記録あり。そのせいで、最近西大寺周辺では、龍馬で売り出していたり、龍馬が泊まったぞと言い出す宿があるとかなんとか。
  • 以前から交流があったという久坂玄瑞山田方谷。その山田方谷に宛てた久坂玄瑞の書状には、安政の大獄で処刑された吉田松陰の遺体の改葬に関して、当時寺社奉行をしていた勝静と顧問の方谷の力添えを嘆願していたが、「何卒よろしくお願い致します」という文面が、本文中にも追伸にも何度も出てくるのが、涙を誘ってやむなし。
  • 明治18年頃に書かれた近藤定常の履歴書には、坂本龍馬の暗殺に関しても述べられていたが、「進んで両氏(坂本龍馬中岡慎太郎のこと)を殪(たお)して去る。彼らは則ち幕府の新撰組長、近藤勇土方歳三の二者なり」という文章で締めくくられている。明治時代でも、暗殺主謀者が新選組という説が根強かった証左と言えるかもしれない。
長州や坂本龍馬の展示で、まさか土方さんの名前が出てくるとは思いもせず、ドキドキ。
展示解説を聞きながら、1人興奮していたのは秘密です。
その展示解説を聞いている時が1番体調不良だったのも秘密です。
(終了直後にトイレに籠らざるを得なかった人)
久坂玄瑞の書状より、自分の虚弱っぷりの方が泣けてくるのは気のせいか

展示解説は1時間ほどで、もっと色々興味深い話もあったのですが、まとめていると1日では終わりそうにないので、こんな感じで。
博物館で幕末関係の展示をしている時は見に行くようにしてますが、今回も会期中に行けて、本当に色々勉強なりました。
最近は神社巡りや古墳巡りもしているので、幕末関係が以前ほど勉強できていないから、いい機会になりましたし
できれば、また特別展レベルで幕末ネタを見たいなと思いつつ。

そう言えば、帰りにトイレ休憩を兼ねて寄った書店で(家まで腹下し状況がもってくれなかった)この2冊を買ったので、こちらでも勉強していきたいです。

歴史人 5月号

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幕末の真実100 α (晋遊舎ムック)

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こちらも楽しみです!