いこのひびつれづれ。

好きなことを好きな時に書きたいだけ。

山田方谷

 

f:id:shomi712:20140621220229j:plain

今日は岡山県立博物館に「山田方谷」の特別展を見に行ってきました。
土曜日は午後から学芸員さんの展示解説がありますので、それに合わせて、昼過ぎには博物館に行って、一人で一通り展示物を見てから、解説の方も拝聴してきました。

その学芸員さんの話によると、県立博物館が山田方谷を取り上げたのは初めてとのこと。
実際、始めるにあたって、最初は史料が殆どなく、まず数を集めるのに大変苦労されたとか。

その甲斐あって、全部で4部屋ある全ての展示室を方谷関連の史料で埋めることができるほどの規模になったそうです。
新発見や、初めてお披露目する史料も多数あり、非常に充実した展示になっていました。

幕末史で「山田方谷」は「ある程度」有名だとは思うのですが(詳しくはWikipedia参照)地元の著名人であるにも関わらず、岡山県民の間での知名度は今一つな気がします。
事実、自分は数年前まで知らなかったし、県立の博物館が今まで取り上げてこなかったというのも、その証左な気がします。

そんな山田方谷に纏わるあれやこれが、これほど大規模に集められ、一度に見られる機会はそうありませんので、是非色々な人に見てほしいなと思った次第。
岡山県の中での知名度をもっと上げることにも一役買ってもらえればと。

しかし、当初一時間の予定だった学芸員さんの解説が、まさか予定を大幅に上回り、二時間になろうとは、誰が思っただろうか。
流石に足がしんどかった。

個人的に嬉しかった展示は、河井継之助の「塵壺」(西国遊歴中の直筆旅日記)と硯、そしてガトリング砲(複製)の展示でしょうか。
そして、玉島騒動で切腹した熊田恰関係の展示もあったこと。
あれ、方谷先生の展示ではないのか。

いや、複製とはいえ、ガトリング砲を見たのは初めてだったように思うので。
熊田恰は地元の英雄だし(関連史跡に行ったこともある)

これでまた山田方谷に関する研究が進むのではないかと言う、お宝の宝庫でありました。
興味のある方は是非是非。
「塵壺」も本物拝めます。


そう言えば、これも学芸員さんから聞いた話なのですが。
幕末頃の史料というのは、江戸時代の中でも「ぞんざい」に扱われることが結構あるらしいです。

というのが、自分もブログで何度も言っていますが、幕末は今からせいぜい150年ほど前のこと。
これが微妙に近いそうで。

例えば、江戸初期の史料ならば、「これは我が家の家宝にする」という感じで代々伝えてくれているそうなのですが、幕末の史料は(その人の年齢にもよりますが)自分の曽祖父、更にその上の代くらいまでが現役時代だった頃の話。
あまりに近いので、その頃の史料(例えば日記や手紙など)は、まだきちんと整理されていない上、「家宝として伝えてくれ」と言うほど御大層な扱いもされておらず、寧ろ「家族の昔の書き物なんで処分しちゃえ」と気軽に言えてしまう年代なんだそうです。

実際、今回展示されている山田方谷の手紙の中には、今まさに処分されるところだったものを、すんでのところで回収してきたというものもあります。

だからでしょうか、学芸員さんが「処分する前に、一度鑑定を」と言われていました。
手の届く時代だからこそ、さくっと捨てられてしまった史料があったかもしれないと思うと、何とも言えない気持ちになりました。

ですので、くれぐれも、くれぐれも、昔の書き物等を、適当に処分しないようお気を付けください。
もしかしたら、とんでもないお宝な可能性もありますゆえ。