いこのひびつれづれ。

好きなことを好きな時に書きたいだけ。

祭祀井戸

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ここ暫く体調がよろしくないのですが、2017年11月25日に岡山古代吉備文化財センターさま主催の津島遺跡文化財講座住まいの考古学」の2回目を受講してきました。
病院薬で体調ごまかしつつの参加でしたが、今回も充実した内容が聞けて、無理にでも参加してよかったと思っています。
今回は、そのお話を少しばかり。

 

ちなみに、1回目の講義については、別記事に記載しておりますので、そちらを見ていただけたら嬉しいです。

 

弥生生活 - いこのひびつれづれ。

 

さて、2回目の内容は「倉と貯蔵穴」そして「井戸と水路」でした。
要は生活していく上で必要な「食料の保存」と「水」についてのお話です。
まさしく「住まい」にスポットを当てた考古学講座です。
「暮らし」と言い換えてもいい。

 

倉や穴についても、水路や井戸についても、なかなかそれだけに的を絞って話を聞いたり勉強したりなんてすることはないと思いますので(如何せん内容がピンポイントでマニアック)初めて聞く話が多く、前回以上に興味深く拝聴致しました。


その中でも、個人的に印象に残った内容を箇条書きで挙げてみます。

 


まずは「倉と貯蔵穴」について。

 

・貯蔵穴の底は平らであり、ゴミ捨て用ではなく、何かを「置く」ことを前提に作られている。
縄文時代はドングリの保存を目的として低湿地・湧水地に貯蔵穴を作った。屋外にあり、余剰分を保存していた。
・何故水のあるところに貯蔵していたのかは、ドングリのアク抜きのため、虫やカビ・発芽を抑えるためなど考えられる。
弥生時代になり稲穂を集落で共同管理するために、共通財産として保存するようになる。貯蔵穴の他に倉庫も出てくる。
・倉庫の屋根は基本的に切妻屋根。
古墳時代では支配層が倉を管理し始める。威儀具(埴輪や銅鏡など)に倉が登場するのがその証左。
古墳時代には一斉に屋外貯蔵穴が消滅。見えない(地下)管理から見える(地上)管理へ。
古墳時代には切妻以外にも寄棟の倉庫も出てくるが、武具用に使用されたと思われる。切妻の倉庫は穀物用と用途が分かれていた可能性がある。


次に「井戸と水路」について。

 

・水路=溝は弥生時代を語る上では欠かせないもので、農耕社会の仕組みを象徴的に表現していたり、精神的な意味合いもある。
・水路は稲作と一緒に「完成された技術」として伝来した。
・稲作は西日本の瀬戸内海沿岸では比較的スムーズに伝わったが、ドングリが多量に採れた東日本ではすぐには定着しなかった。
・水田には「湿田」と「乾田」があった。湿地や水の多い土地を利用した「湿田」は田を作りやすいが水の調整ができないのでえ収穫量は少なく、水路を必要とする「乾田」は田を作るのは大変だが、水の細やかな調整ができるため収穫量が多い。
弥生時代の水田は区画が細かい。広く平らな土地に均等に水を張るのが難しかったからである。
・古代の井戸は便宜上「井戸」と呼んではいるが、水を得ることが目的ではなく、祭祀用として利用していたと考えられる。
弥生時代後期に爆発的に増えた井戸には井戸枠(井壁保護施設)を伴うものが少なく、長期利用された形跡がない。古墳時代前期以降減っていく。
飛鳥時代に井戸は律令制のもとやはり祭祀用として規格化された。どの地方からも似た井戸が出土する。

 


他にも色々興味深い話がありましたが、書き出すときりがないので、このくらいにしておきます。
これでも大分絞って書いたんですが多い。

 

特に古代の井戸は水を汲み出すのを目的としていなかったというのが一番の驚きでした。
通常想像する井戸としての使い方をしていないという。
井戸の中から彩色土器などが出土するそうですから、祭祀を行っていたみたいですし。
古代のマツリについても興味がそそられるお話でした。

 

生憎の体調で、外も会場も寒いというコンディションは決してよくはなかったのですが、本当に勉強になった1日となりました。
歴史講座も残り1回、そちらも参加できればいいなと思っています。

体調がよければ!


以上、「住まいの考古学」2回目についての簡単な紹介でした。
お付き合い、ありがとうございました。

銀杏本祭

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2017年10月28日、生憎の雨でしたが、岡山大学で開催された「イチョウ並木の本まつり」に行ってきました。

今回は、その話を簡単にですがしようと思います。

 

2017年3月にも同様のイベントが行われましたが、今回はその秋ver。

前回のイベントの雰囲気も好きだったので、雨ニモ負ケズ行ってきましたよ。

ちなみに、前回のイベントに関しては、過去記事からどうぞ。

 

xskyxdreamx.hatenablog.com

 

さて、本のイベントということで、今回も新刊書籍・古本・本に関する雑貨やフードが勢ぞろいしていました。

ブースを見ているだけでも楽しかったです。

天気が良ければ、もっとのんびりできたでしょうけど……(そこだけが残念)

 

今回ゲットしたお宝類はこちら。

まずは書籍。

 

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吉備人出版」さまのブースでは、地元の歴史本ということで、こちらの「吉備の弥生時代」を購入させていただきました。

もうタイトルからして何たる自分ホイホイ。

無料で図書目録もいただきまして、そちらにも気になる本が多数。

吉備人出版さまの本には以前からお世話になっているので(主に歴史関係)今回お邪魔できて本当によかったです。

 

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それから、今回楽しみにしていたのは、こちらのチャイの本。

神原チャイ&焼き菓子 多福」さまで、「チャイの旅」という本を購入させていただきました。

最近自分もチャイを作り始めたので、一度ちゃんと本を読んでみたかったんですよね。

チャイを専門的に出している大阪の喫茶店に勤めていらっしゃった著者さまのチャイの淹れ方から基礎知識、チャイに合うお菓子や、エッセイなど内容盛りだくさん。

最初数ページから目から鱗な話が多くて、読んでいて楽しいです。

口頭でもチャイのご指導をいただきましたので、今度からはもっとまともにチャイが淹れられそうです。

なお、こちらの本、著者ご本人様からサインまでいただいてしまいました。

ありがたや~、ありがたや~!

 

お世話になりました著者さまのホームページはこちらからどうぞ。

本も茶葉も買えます! → 「canbara magazine

 

続いて、本に関するフード類。

まずは前回もお世話になった「文豪珈琲/CAFE Z+par'm+菓子屋てとて」さまのブースにて、有名作品に馴染みのあるお菓子を購入。

 

一番欲しかったのは、こちらのお菓子。

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何やら炭化した木の実みたいに見えますが、こちらは「クルミの化石クッキー

中に実際にクルミが入っています。

こちらは自分が大好きで尊敬している宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に出てくるクルミの実をモチーフにしているようです(※「北十字とプリオシン海岸」の章に出てきます)

また、日本で最初にクルミの化石を見つけたのも宮沢賢治だと言いますし、そのことにちなんでるんでしょう。

お味は少しビターで大人な味でしたが、お茶によく合っておいしかったです。

 

また、こちらの「どら焼き」もおいしそうだったので買ってしまいました。

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池波正太郎の「散歩のときに何か食べたくなって」にどら焼きの話が出てきますので、そちらにちなんでのようです。

関東の桜餅風の包み方で可愛いです。

こちらは両親へのお土産用にしたので、自分は(この記事を書いている段階で)まだ食べていないです。

 

続いて「ヒロシゲマエ」さまにて、前日に2日分完売してしまって(前日からの2日開催の本まつりです)急遽増産したという噂の「古墳クッキー」を。

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古墳好きとしてはたまらないフォルム!

ちゃんと円墳部分の中央が盛り上がっているのも芸が細かい!

こちらもこの記事を書いている段階ではまだ味ききできてないのですが、楽しみです。

 

また「ヒロシゲマエ」さまでは雑貨も購入させていただきました。

前から「ヒロシゲマエ」さまの雑貨気になっていたので、購入できて嬉しかったです。

 

今回購入したのはこちら。

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読書記録用のミニノートです。

実は読書用のブログも持っているのですが、なかなか更新する暇が取れず、本は結構読んでいるけど、感想書く前に次の本読んでしまって、ブログ更新できる時間が取れた時には既に内容忘れて結局書けず……という本が何冊もありまして。

そこで、読んでいるうちに気になった点を書き残せるメモがあればなと思っていたところでの出会い。

運命でした!

早速、今後活用していこうと思います。

 

と、こんな感じで、今回は書籍もフードも雑貨も買えて、雨という悪条件を忘れてしまうほど堪能できた1日となりました。

本を通していいご縁を結べて来たなと思えるイベントでした。

機会があれば、是非実際の店舗にも行ってみたいです。

 

そうそう、最後に。

今回は無料配布で「本楽1」という本も頂いたんですが、こちらの本がまたクオリティが高くてですね。

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一緒にいただいたチラシと一緒にパシャリ。

この冊子には、本や書店に関するエッセイが寄稿されていまして、それらがどれもクオリティ高いという。

本好きなら「あるある!」と思えたり、共感できる話題が結構出てきたと思います。

この冊子が無料で無料でいただけただけでも、イベントに行った甲斐があったと断言できます!

 

特に共感できたのは、こちらのお話。

ホホホ座」の山下さんのお話より。

 

 

近くに喫茶店がある関係で、自分も休日に外で読書をするのですが、それが無駄でないと、価値ある行動だと思えた瞬間でした。

声なき読書推進運動、みんなもやろうぜ!

 

以上、長くなりましたが、「イチョウ並木の本まつり」のお話でした。

次回はまた春になるのでしょうか。

楽しみにしています!

 

主催者さまのホームページはこちらです 

setouchi-bookcruise.net

 

吉備畿内

2017/10/14に「近つ飛鳥風土記の丘」に行ってきましたが、目的は園内にある「近つ飛鳥博物館」の秋季特別展「古墳出現期の筑紫・吉備・畿内〜2・3世紀の社会と経済」を見るためでした。

秋の長雨の最中だったので、史跡公園自体を巡るのは諦めていたのですが、案外そちらも(ある程度は)できたので、一つ前の記事にまとめております。

詳しくはそちらに譲るとしまして。

 

風土記丘 - いこのひびつれづれ。

 

こちらの展示、実は地元岡山の古代吉備文化財センターに見学に行った時に偶然見つけたチラシで知りました。

まさか大阪で吉備(岡山)の展示が見られるとは思いもせず、これは是非見に行かねばと思った次第。

こういう偶然の機会や出会いも「縁」と考えて大事にしているという話は、以前このブログでもした話だとは思います。

「呼ばれている」って感じがするんですよね。

必然性を感じると言いますか。

 

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さて、そんな縁を大事に必然性に導かれて行った博物館の特別展。

タイトルの通り、筑紫(博多湾沿岸)・吉備(岡山の足守川・旭川下流)そして畿内からは中川内(河内湖南岸)と大和(奈良盆地東南部)の四つの地域から出土した土器や鉄器、装飾品など多数が展示されていました。

遺跡紹介(写真解説)のパネルのみの展示もありましたので、実際に扱われている遺跡の数はなかなかです。

 

地域によっての特色の違いなどの解説もあり、例えば博多湾の遺跡の場合は、朝鮮半島が近いこともあって大陸からの文化が多く入ってきている部分があったり、内陸の大和では、日本国内の交流が盛んで、各地の特色を持つ土器が見つかっていたりなどなど。

青銅器文化一つとっても、吉備は弥生時代後期後半には青銅器でのマツリ文化は廃れて特殊器台が登場していますが、同時期九州は銅矛、東日本は銅鐸といった風に違いがありますが。

まあ、それはさておき。

 

自分の地元、吉備に焦点を絞りますと、吉備から特別展に提供されたのは、津寺遺跡・上東遺跡・楯築墳丘墓・矢部古墳群など、(地元からすれば)有名どころの出土品やパネル展示だったので嬉しかったですね。

また、特殊器台のように吉備から畿内に入って発展した文化もあり、吉備と他の地域との交流や吉備の影響力の高さを窺わせる内容となっていて、そこもまた岡山県民として誇らしい展示となっていました。

ちなみに、資料提供は殆どが前述の古代吉備文化財センターからとなっていました。

 

欲を言えば、折角の大和がどうしても纒向遺跡からの提供が大多数を占めていた点が不満点と言えば不満点。

なまじ他の地域は結構な数の遺跡紹介となっていたので、大和に関しては物足りなさがありましたので。

 

なお、面白い特徴として、今回紹介されている遺跡は大規模の集落を要するものが多いですが(古墳は除く)古墳時代前期中頃(四世紀中頃)にはいずれも衰退しているという点

その理由として解説パネルには、自然環境の変化なのかもしれないが、各地の大規模集落が一斉に衰退しているので、各地を結ぶネットワーク自体が政治的要因ないしは社会的要因によって解体されてしまったのではないかとしていました。

ほう、興味深い解釈です。

 

岡山県の遺跡を大阪でも見られた点、その遺跡と畿内との繋がりも見えて満足できた特別展でした。

 

 

ちなみに、ちなみに。

 

常設展の方は、一部以外は写真撮影が可能となっています。

殆ど古墳に関する内容となっていまして。

 

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様々な種類の棺が展示されていたり。

(中央の写真の黒い棺は、聖徳太子のお墓の再現とのこと)

 

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出土状況を再現したもの。

 

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四天王寺の伽藍模型などもあります。

 

常設展の一番の見所は、写真撮り忘れましたが、仁徳天皇陵の模型があるところでしょうか。

ただの模型という訳ではなく、同時にムラの様子や古墳製作過程を再現した模型も周囲に配置されているので、ぐるっと回って見るだけでも楽しい仕様となっています。

気になる方は、是非現地でご確認を。

 

しかも、嬉しいことに、常設展も特別展も無料で音声解説がつけられます

解説ポイントも多いので、きっちり見て回ると、かなり勉強になるかと思いますよ。

かなり良心的だったと思います。

 

さて、結構な文章量になりましたので、今回はこの辺で締めようかと思います、

特別展は11/26まで行われていますので、常設展も合わせて是非是非。

天気がいい日は、風土記の丘の古墳もハイキングがてら巡るといいですよ。

風土記丘

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風土記」と名前が付くだけで、もうどうしようもなく魅力的に聞こえる不思議(当社比)

 

さて、今回は2017/10/14に行った「近つ飛鳥風土記の丘」の話を少し。

生憎、秋の長雨の季節ではあったのですが、幸い何とか天気が持ちましたので、ある程度は堪能できたと思います。

 

本来は別の用事で訪れた場所なんですけど、その話まで含めると非常に長くなるので、ここでは「風土記の丘」のみの話に留めておきます。

 

一須賀古墳群の一部を整備し史跡公園にしたというこちらの風土記の丘、29haの園内に102基の古墳を有しています(どの大半が円墳、一部方墳もあり)

遊歩道沿って歩けば、あっちにも古墳、こっちにも古墳というエンカウントの高さ。

 

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黒丸全部古墳です。

 

何より魅力的なのは、横穴式石室の見学もできてしまうところ。

小ぢんまりとはしていますが、近くで見られたり中に入れたりするのは、貴重な体験となるのではないでしょうか。

自分はテンション上がりまくりでした。

ひゃっほーい!

 

その横穴式石室の一部(本当にごく一部)を写真にてご紹介。

 

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寛永寺45号墳(こちらは移築されたもの)

7世紀のものとしては日本最大級の大きさ。

 

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B-7号墳

 

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B-9号墳

こちらの見所は何と言っても、復元された家形石棺でしょう。

石室の中に入って(正確に言うと、羨道を通って玄室に入って)石棺の傍まで寄れちゃいます。

 

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苔生したお姿も素敵。

 

他にも色々写真は撮ったのですが、似たり寄ったりな写真ばかりだったので、数は少ないですが、写真の紹介はこれくらいにして。

 

あ、ちなみに出土した家形石棺は、管理棟にある休憩スペースで実物を見ることができます。

(先出の写真の家形石室は復元されたものです)

 

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蓋が屋根に似ていることから家形石棺というみたいですね。

 

とにかく数多くの横穴式石室を間近で見られる場所はそうないと思うので、行ってみる価値ありかと思います。

前述通りかなりの広さがありますので、中をぐるっと回るだけでも、結構骨が折れます(事実、自分は全部回れていないので、園内最大級の古墳を見られなかった……無念)

それだけ凄いんですけど。

 

丘の上にある史跡公園なので、展望台もあり、そこからは町を一望できるのはもちろん、天気がよければ仁徳天皇陵(大仙古墳)も見えるとのこと。

自分は生憎の天気だったので展望台までは行ってないのですが(そもそも割ときつい坂を登らないといけないので、体力も必要)天気のいい日は展望台にトライするのもいいかと。

 

ただ一部の道は未舗装で草も茂っています。

マムシやイノシシもいるみたいなので、出かける際は動きやすいパンツスタイルがいいかと思います。

 

ちなみに。

こちらの史跡公園の奥には博物館もあります。

今回のメインの目的は、その博物館の展示を見ることだったんですが、それはまた別の記事で書こうと思います。

よろしければ、そちらもお付き合いくだされば嬉しいです。

 

以上、本当に簡単ではありましたが、「近つ飛鳥風土記の丘」のお話でした。

弥生生活

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ご無沙汰しております。

ここ数か月、主に仕事の面で波乱万丈な日々を送っておりますが(いやもう本当になかなか精神的に波乱万丈で……以下略)何とか生きております。

今回は少し前になりますが、久し振りに参加させていただいた歴史講座について少し書いておこうと思います。

 

去る2017年9月30日に、岡山県古代吉備文化財センターさま主催の津島遺跡文化財講座「住まいの考古学」1回目に参加してきました。

津島遺跡文化財講座への参加はこれで3年目かなあ。

毎年お世話になっております。

 

今回は衣食住の「住」に重きを置いたテーマという、ちょっとマニアックというか焦点をかなり絞った方向から弥生時代を語るという内容となっていました。

初回は竪穴住居の作りについて、そして竪穴住居内での「火」について囲炉裏からかまどへの変遷を中心とした解説でした。

家、そして火は生活していく上でまず大事な点ですからね。

 

竪穴住居に関しては「屋根は茅葺き(草葺き)か土葺きか」というのが昔から(?)問題になってまして、今回もその点が表題に掲げられていました。

有名な登呂遺跡や吉野ヶ里遺跡などで再現されている竪穴住居は茅葺きなんで、一般の方はあの定番の姿を想像するとは思うのですが、実は土葺きの竪穴住居というのも発掘で出てきてるんですよね。

古くからの日本家屋の屋根が茅葺きだから、竪穴住居を再現する時に茅葺きにしたという経緯がありますので(諸説あり)考古学的根拠があっての茅葺きとは限らないんですよね。

 

ただ今回の講座では、屋根を茅葺きだ土葺きだと一つに答えを絞らず「地域によって差がある」という解説に留めていました。

地域差は個人的に考えていなかった点だったので、目から鱗でした。

円形の竪穴住居というのは全国統一ですが、寒い地域だと床面になる穴が温暖な地域に比べて深かったり、風が強い地域だと草→土→草のサンドイッチ状の屋根にして丈夫にしていたりと、気候の差に寄って作りに工夫が見られるそうです。

土葺きの方が温かそうなイメージはあります。

実際に土葺きは防水・保湿・防風に優れているようです。

 

なかなか屋根まで残って発掘される例は少ないですが、火災に遭って放棄された家などは燃え残った屋根が残っていることもあり、そこから屋根がどういう構造だったか分かるようですよ。

岡山県内でも見つかっています。

 

また、一つの住居跡から時代を跨ぐ土器が発見されることは少ないそうなので、家の建て替えは、同じ型式の土器を使うスパンで行われていたのではないかとの説明もありました。

これも、初めて知った点です。

 

 

2つ目のテーマである「火」に関しては、前述通り囲炉裏からかまどへの変遷、かまども造付けかまど(場所が固定されている)から移動式かまどへ変遷について詳しく解説してくださいました。

竪穴住居内での「火」となると中央での「囲炉裏」式を想像しますが、古墳時代に入ってくるとまずは家の隅にかまどが設置され、時代が進むと今度は壁の中央に、そして段々と移動式かまどへ変わっていったようです。

竪穴住居自体は平安時代までは残っていますが、形は円形から方形に変わっていっていますので、かまどができる頃には家に四隅ができているんですよね。

その隅に最初のかまどは作られたようです。

また初期のかまどは煙道(煙を排出する穴)が短く角度が急=竪穴が深い、後期になるほど煙道は長くなるけど角度は緩やか=竪穴が浅いとなるようです。

 

そして、何故かは分かりませんが、かまどは意図的に壊れた状態で発掘されることが多いようです。

どうしてなんでしょう。

だからなかなか原型を保って出てくるかまどは少ないようです。

 

その他、囲炉裏やかまどに関連して「米の調理方法」の変遷も解説してくださっていて面白かったです。

米食文化の日本ですが、最初から今のような炊いて蒸らしたご飯を食べていた訳ではないようです。

日本に入って来たばかりの米は粘りが少なく、古墳時代前期くらいまでは、たっぷりの水で炊き上げた後、余った水を捨てて、土器を傾けて火の傍で蒸らしてから食べていたようです。

その後、粘りの強い米も出てきて、奈良時代くらいまでは粘りの強弱が入り乱れた米だったので、蒸して食べていたようです。

粘りの強弱が違うと、今のようにいっぺんに炊き上げると言う訳にはいきませんからね。

現代と同じ炊き方になったのは、平安時代(9世紀)以降だと考えられているようです。

 

まあ、こんな感じで、弥生時代の暮らしについて、初回は家と火という観点から解説するという講座でありました。

なかなかマニアックな内容だったように思いますが、その分、いつも以上に興味深く聞いた次第です。

初めて聞く話も多く、今回はその点を中心にブログに書いてみました。

まだまだいろいろ面白いお話も聞いたのですが、きりがないので今回はこの辺で。

 

ちなみに次回は水回りの模様。

こちらも楽しみです。

まあ、無事に参加できればの話ですが(定員が決まっているので)